コラム

博学多才の儒医 貝原益軒

江戸時代の儒学者、貝原益軒は医学、地理、教育、植物、歴史などあらゆる分野に通していて多くの著作を残しました。健康啓蒙書『養生訓』や、わが国初の本格的な本草書『大和本草』などは、現在も多くの人に愛読されています。父・利真は九州福岡医で、益軒も父から医学を学ぶ一方、京都や江戸で儒学を学び、のち福岡に帰郷、以後、藩儒として黒田家に仕え、85歳の長寿を全うしました。

不遇の前半生から出世
貝原益軒は幼少の頃から聡明で、8歳の時すでに『平家物語』や『太平記』を読み、13歳では儒教の経典『四書』も読んでいたといいます。この下地があった上に、京都で儒学を学んだ兄の影響もあり、益軒も本格的に儒学に取り組みます。
19歳で福岡藩に出仕しますが、翌年免職されて浪人暮らしを余儀なくされます。困窮の中、幼少時代に父から勧められた『医学正伝』や『万病回春』などによって薬の知識を持っていた益軒は医学を志し、26才の時、父のいた江戸へ出て医を生業とします。
しかし翌年、藩主が交代し福岡へ帰郷。34歳で儒官として取り立てられ、藩士や幼君に儒学を教え、6人扶持を賜りました。その後、学者としての評価も定まり、俸給も儒臣中最高の200石を与えられて以後、半世紀にわたって藩に仕えました。その間、『大宰府天満宮故実』や「黒田家譜』、『大疑録」など多くの書を著しましたが、特に人口に膾炙した書は『養生訓』と『大和本草』です。これらは益軒の名を後世に残し、300年を経た現在でも広く読まれる名著となっています。

後世に残る名著を残す
益は当時としては異例の85歳という長寿を全うしましたが、生涯多くの病に悩んでいました。『寛文日記』にはさまざまな病の苦しみが切々と語られています。風邪、痔、疝気、頭痛、淋疾、排尿困難、神経衰弱など多くの病を発症し、この闘病生活から『養生訓』が生まれました。
益軒は53歳の時、養生についての古人の言葉を集めた『頤生輯要(いせいしゅうよう)』を書いていました。それをもとに精神修養と自然的療法の両面から養生の道を示したのが『養生訓』で、亡くなる前年の84歳の時に完成させました。かな交じりの和文で書かれた庶民向けの健康啓蒙書で、多くの人に読まれました。
本草学は植物を主に動物、鉱物など薬になる薬物を研発する学問。当時、中国の明時代に季時珍が著した『本草綱目』が江戸時代初期に日本に伝来し、日本の研究者たちに大きな影響を与えました。この『本草網目』に独自の分類を加えて1362種の薬物について由来、形状、利用法などを記載したのが『大和本草』です。単なる翻訳、翻案ではなく、長年にわたる薬物の観察、検証に裏付けられた日本における最初の本格的本草書で、表題に『大和』と付したところに益軒の独自性と自負がうかがえます。
広い教養をもとにジャンルを超えた学問に先駆的な業績を残した益軒。85歳という長命を全うしながら家塾を開かなかったので門人は少ないのですが、その偉業は300年経った今でも語り継がれています。

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